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砥石城址と真田三代墓所 [流れゆく日々]

NHK大河ドラマ「真田丸」完結しました。今まで郷土の英雄という事しか知らなかった真田三代の歴史を改めて知ることができてとても新鮮な感動を覚えながらTVを視聴していました。

ドラマの完結を見て真田氏のゆかりの場所を訪ねて見ました。

真田町長(オサ)にある長谷寺の幸隆・と幸隆の正室、昌幸の墓の隣に立つ幸村の慰霊塔。yukimura-1.jpg

【砥石城址】

上田市伊勢山にある砥石城です。砥石城は北信濃一の豪族、坂城の村上義清が小県進出の足場として築いた山城です。武田信玄を上田原の合戦で打ち破った後、武田勢の2度目の侵攻も撃退し世に言う「砥石くずれ」の舞台になった場所です。

武田と通じていた真田の始祖幸隆の計略により、内部崩壊を起こした村上義清は城を奪われ、やがて上杉謙信の下の応援を頼んで川中島合戦へと歴史は進みました。

私は生まれ在所が村上義清の里でありますから、真田氏は武田信玄と共に憎き敵ではあります。坂城町では村上義清こそ戦国一の武将と親しまレ、小学校の校歌でも謳われています。

砥石城は尾根上に設けられ上段から桝形山・本城・砥石城の三城から成り立っています。

最下段の砥石城祉
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本城址(本丸)
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最上段の桝形城址
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城址の尾根は段々畑のように手が加えられています。
削平と云われる郭後です。その他、切崖と呼ばれる人工の崖や空堀などの後もよく見られます。
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砥石城から少し離れた場所に立つ米山城址には村上義清公の碑が立っていました。
砥石城の出城という場所ですね。
碑文は武田信玄を撃退したことが刻まれているものと思われます。
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【長谷寺】
上田市真田町長にあります。

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真田幸隆と正室、昌幸が祀られています。上田から松代に移封された信之は松代に同じ読み名の「長国寺」を立て墓所としましたが、移封後も長谷寺に先祖のお参りを欠かさなかったそうです。昌幸は九度山で亡くなりましたが、後年地元の有志が九度山に埋葬された昌幸の墓の土を持って真田に帰り長谷寺に埋葬したそうです。

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隣には幸村の供養塔が立っています。これも最近地元有志が、幸村討ち死にの大阪安居神社の土を移して建立されたそうです。
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戒名
「大光院殿月山傳心大居士」
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 【長國寺(チョウコクジ)】
長野市松代町にあります。
真田信之が松代の移封ご1660年に建立された浄土宗の寺で、初代信之から12代幸治まで埋葬されています。「日暮硯」の恩田杢などの墓もあります。
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重要文化財の信之公の霊屋
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信之公の墓の前には幸村・大助親子の供養碑がありました。yukimura-2.jpg


 


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